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2020-06-27 12:00:00

プレイヤーにならなくてもいい、誰かのサポーターという生き方

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東京では梅雨らしい天気が続いています。雨が続いたりコロナのこともあって、なかなか外で思いっきり遊べませんよね。

 

そんな中、最近5歳の娘こっこちゃんがスマホのゲームにハマっています。なぜやり始めたのかというと、Youtubeでキッズユーチューバーの子達がやっているのを見たからです。

 

パズルのようなゲームならいいのですが、アクションが多いものになると、思うように動かせない様子。

 

やりながら体が傾いたり、「できない〜。」と嘆いています。笑

 

Youtubeで見ている分には簡単そうに見えたゲームも、実際に自分で動かすとなると難しい、ということに気が付いたようです。

 

何回かトライしているうちに、私やパートナーに「やって〜!」と持ってきました。そしてゲームをしている様子を隣で見ながら、ああでもないこうでもないと口出しだけはしてくるのです。笑

 

だったらYoutubeで見ていればいいのに、と密かに思っていたところ「なんだか見ている方が楽しいや!」と言って、自分からYoutubeを見はじめました。(ホッ)

 

このことから少し気づきがあって…。

 

私は高校時代、野球部のマネージャーでした。中学校でも心と体が強い方ではなかったので、プレイヤーとして熱心に部活に取り組んだことはありません。

 

だからか、友人から昔の部活の話を聞いたり、大人になった今でもその競技を続けていると聞くと「素敵だな〜。」と羨ましくなることがあります。そして「私もプレイヤーとして部活に取り組めばよかったのかな。」と思ったり。

 

当時もプレイヤーとしてやっていない自分は、なんだか価値が低いように感じていました。

 

マネージャーだった私にとっても、チームが「試合に勝つ」ということは嬉しかったです。だからと言って、負けた時にすごく悔しかったわけではありませんでした。

 

勝ち負けよりも「選手に怪我をしないでほしい」ということや、「できるだけ快適に練習ができるような環境をつくりたい」といったことの方がずっと大事だったのです。

 

つまりプレイヤーとマネージャーでは、核となるモチベーションや目標、価値観が違っているんですよね。

 

また、プレイヤーが高いパフフォーマンスを発揮するために、マネージャーは重要な存在です。もちろんプレイヤーが兼任することもできます。でも練習時間を削ることになり、大きなストレスを感じるのではないでしょうか。

 

今となってはプレイヤーとマネージャーはどちらも必要で、価値観が違っていいと思っています。でも当時はそのことが分からず、もやもやすることがありました。

 

当たり前かもしれませんが、みんながプレイヤーにならなくてもいい。

 

もちろん、やりたいならやればいいけれど、無理してやらなくてもいい!

 

見て楽しむ、応援して楽しむという選択もあるんですよね。

 

スポーツや音楽の世界だと、そのことがすんなり受け入れられるのですが、仕事やスキルのことになると…。

 

なんとなくプレイヤーにならないといけないような気になりませんか?(私はなりやすいタイプです)

 

例えば「自分がヨガに助けられたから、沢山の人にヨガを届けたい!でも人見知りでインストラクターをするのは苦しいかも・・・」と思ったとしたら。

 

この場合「沢山の人にヨガを届けたい!」ということがミッションなので、インストラクターにならなくても、スタジオでの受付担当や情報発信の担当、でも実現できます。

 

また、自分がヨガを通して感じたことや体験を、ブログなどで発信するという方法もありますよね。

 

このように、必ずしも自分がプレイヤーにならなくても、ミッションを実現できるのです。

 

私の場合は人と関わることが好きだったり、看護の道を目指していたこともあって、インストラクターをはじめました。それでも周りを見渡すと、色々なスキルや魅力を持った人が沢山いて。気をぬくとまた「自分もやらないと!」に陥りそうになります。笑

 

でも周りの人たちを応援しつつ、私は私の場所でやりたいことをやろう。そんな風に心が決まったら、少し楽になったのでした。

 

それでは、よい1日を!

 

目代なおこ